藤子不二雄さんがAとFに別れて執筆を行うようになったのは何故?

藤子不二雄、日本人でこの名を知らない方はいないでしょう。

それではこの名が藤本弘・安孫子素雄の共同ペンネームであることは知ってますか。

小学校で同じクラスとなって以来一緒に遊び共に漫画を描いてきた二人、彼らの手により「ドラえもん」を始めとする名作は次々と生まれました。

やがてコンビ解消、藤子不二雄Aと藤子F不二雄という二人の漫画家に分かれます。

決して不仲によるコンビ解消ではありません。

互いに交友関係は続いていたそうですし、互いを気遣い称えながらもずっと漫画家であり続けその後もさまざまな作品を生み出していったのです。

AとFに別れたことを残念に思うファンの方もいたでしょう。

なぜこのような状態となったのでしょうか。

A先生の側としては「互いの作風も変わってきたから、自然な形でそうなった」そう。

一方でNHK「こだわり人物伝」に出られたF先生の奥様である藤本正子さんからも、また違った証言が得られています。

どうやら別々の漫画家チーム同士が一つ屋根の下でというのはあまりよいとは言えない状況となっていたみたいで、長期療養を終えて戻ってきたF先生がまた体調を崩すきっかけとなったそうなのです。

つまり大きな確執はなし、やはり自然にというしかないのでしょう。

それに、藤子不二雄の名が知られてるものの、コンビでやっていたのって駆け出し時代から「おばけのQ太郎」辺りまでだけなのです。

後は分筆・完全分業制でしたから分かれての状態こそが自然だったのです。

仲良しだからって仕事もプライベートもずーっと一緒だと息が詰まりますよね。

離れても当然です。

有名な作品も、「ドラえもん」や「パーマン」はF先生で「怪物くん」や「ハットリくん」はA先生とそれぞれが中心となって書かれてるのですよ。

よく見れば分かります、タッチが違うでしょう。