【激レアさん】南裏健康(冒険家)動画やwiki風プロフ 経歴や遭難のまとめ

南裏健康(みなみうら たけやす)さんが、9/14日の「激レアさんを連れてきた」に出演されます。

南裏健康さんは冒険家であり、登山家、フリークライミング、パラグライダーと幅広く活動されている方です。

そんな南裏さんの激レア体験は、海外でも話題になった
「6000m絶壁でのパラグライダー宙吊りとそこでの救出劇」の経験だそうです。

他に何がすごいかをまとめました。

・27日間をかけて6239mの超難関な山を初のルートで登頂
・下山時の事故で6千メートルの崖で7日間宙づりで過ごしたが無事生還
・サポートメンバーが3日で標高6000mの難所を登りきって救助に駆け付けた。

これだけでインパクトは絶大ですね。
ちなみに、この山は政府に申請しないと登頂許可がおりないという別格の危険度です。

 

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百聞は一見にしかずなので、まずはこの絶壁の様子の動画をぜひ見てください。
登頂したという意味がわからないところから始まります。

もう言葉を失いますね。想像をはるかに超えた絶壁の様子でした。

こんなところで、こんな規格外の経験をする南裏さんは
どんな経歴の持ち主なのか気になったのでいろいろと調べてみました。
詳しく見ていきましょう

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南裏健康(冒険家)のwiki風プロフ 経歴や所属団体など


名前:南裏健康(みなみうら たけやす)

生年月日:1957年生まれ

年齢:62歳

出身:奈良県

所属団体:日本山岳ガイド協会

ロッククライミング歴 45年

 

南裏健康(冒険家)の経歴について

13歳ころから大人に混じって登山を始めるという英才教育を受けてきた実力派です。

18歳からは、本格的にクライミングの世界に進んでいます。

フリークライミング、ヒマラヤ高所ビッグウォール、アイスクライミング、世界中フィールドを選ばず、なんでもこなすオールラウンドクライマーです。
先駆的で、冒険的なロッククライミングを行ってきたことで、世界の注目を集めてきました。

その挑戦スピリッツは現在でも健在で、常に新しいルート開発や、先進国以外の登山ルートにも挑戦する、実力派の一人です。

そして冒険だけでなく、フリークライミングの実力者。そして日本のフリークライミングを当初から模索してきた立役者の一人でもあります。
クライミング競技のコーチとして、2003年(平成15年)の国体で静岡チームを優勝させた実力者でもあります。

 

主な登頂記録

・ パキスタン、マッシャーブルム7500mアルパインスタイルで登頂成功
・ パキスタン、トランゴタワー単独新ルート登攀
・ カナダ、ロータスフラワータワーフリークライム
・ アメリカ、エルキャピタンメスカリートA4登攀
・ カナダ、コロンビアアイスフィールド アイスクライミング登攀成功
・ アメリカ、エルキャピタンノーズ 登攀
・ アラスカ・マッキンレー6200m登頂

特に1990年のパキスタンのトランゴネームレスタワーの単独、新ルートからの登攀の記録(27日間)と
下降時パラパントでのアクシデントとその救出劇(9日間)は、世界的に有名な逸話となっています。

これが今回の取り上げられた出来事のことですね。
それ以外のこの抜粋だけでもすごい経歴ばかりですね。

 

奥さんもクライマーで国体優勝経験もあり

奥様は南裏保恵(みなみうら やすえ)さんといいます。

南裏保恵(みなみうらやすえ)
1967年愛知県生まれ
ロッククライミング歴 25年

24歳よりフリークライミングを始め、愛知の鳳来の岩場へ足しげく通っていました。
その後、仕事を辞めて岩登りに専念しました。

国内コンペでの優勝、93~95年アジア大会3年連続優勝などの実績を持ちます。
近年では、静岡国体山岳競技のクライミング競技で優勝。
96年以降、夫である南裏健康とともにヨセミテやアラスカのビッグウォールへも挑戦している。

主な登頂記録
・ 1993年、1994年、1995年フリークライムアジア大会 女子の部優勝
・ 1990年から10年間  フリークライム日本大会 女子の部ランキングチャンピオン
・ アメリカ・エルキャピタンノーズ登攀(夫とともに)
・ アラスカ・マッキンレー6200m登頂 (夫とともに)

現在はご主人と一緒にクライミングスクールの経営をやられており、クライミングの普及活動を行われています!

旦那さんもですが、奥さんの保恵さんも本当に山登りに命を懸けているかたなのですね。アジア大会の3連覇などレベルが違いますね。

 

南裏健康(冒険家)のクライミングスクールの情報

「南浦クライミングスクール」というロッククライミング教室をご夫婦二人で行っているようです。

店の名前:南浦クライミングスクール(SWEN三島店内)
連絡先:055-981-8520
住所:静岡県駿東郡清水町玉川24-1

 

南裏健康(冒険家)が6000mの高さで中吊りとなった山は?

今回、宙づりとなった山は、パキスタンにあるトランゴタワーズという山です。
ヒマラヤ・カラコルム山脈のバルトロ氷河の北部にある花崗岩断崖群です。

タワービルが乱立しているような感じで高さ、大きさがハンパなく
多くのロッククライマーたちが憧れる場所なのだそうです。

最も高いポイントは6286mのグレートトランゴタワー。
危険で難しいポイントだからこそロッククライマーたちが挑むのでしょう

 

このサイトでもどれだけすごい山かがわかりやすくまとめられています。

次はそんな危険な場所での7日間の宙づりの様子についてまとめました

 

南裏健康(冒険家)の6000m絶壁におけるパラグライダー宙吊りと救出劇の経緯まとめ

2年半準備を経て、1990年に憧れのトランゴ・タワーズ(パキスタン)へ仲間たちと向かい、単独で「未踏のルート」からの登頂に挑戦しました。

標高は6239mであり東京スカイツリー約10個分の高さで、このルートは特に難所中の難所といわれていました。

登頂後はパラグライダーで一気に降下する計画です。

 

挑戦から27日目、南裏は単独登頂に成功しました。

その報告をトランシーバーで聞いて、ベースキャンプでサポートする仲間たちも喜びました。

 

しかしその帰途、パラグライダーでの下降時に向かい風の絶好のコンディションの中飛んだところ、
突然向かい風が吹き失速し墜落してしまいました。

そして、頂上から70メートル下の突き出した岩に奇跡的にパラグライダーがひっかかり宙ぶらりんとなってしまいました。

標高6000mの場所で宙づりになり、身動きが取れず一刻を争う状況です。

サポートメンバーだった「笹倉孝昭」は険しい山道を半日かけて下山し、パキスタン軍に救助を要請しました。

南裏健康(冒険家)の救出まで

飛ぶため山頂に用具や食糧などを残してきましたが、トランシーバーは持っていました。下手に動くと危ないので、トランシーバーで仲間にSOSを送り救助ヘリの要請をしてもらいます。山頂付近なので酸素濃度は平地の半分で夜には気温がマイナスー10度まで冷え込みました。凍傷を防ごうと、南裏は体を温め続けました。

遭難2日目、期待していたヘリコプターでの救出は砂嵐により延期に。この時、南裏の背骨にはヒビが入っていた。痛みに耐えながら、ギリギリ腰を下ろせる場所へ移動。パラグライダーで寒さに耐え、氷を食べて上を凌ぎました。

遭難3日目、ヘリがやって来たものの、標高6000mという高さからヘリがホバリングできない状況でした。
ベースキャンプにいたサポートメンバーの保科雅則と木本哲は、無線を笹倉にあずけて南裏の救助に向かいました。

遭難4日目、南裏は水分さえ体が拒否する状態に。食べ物の話をするのが唯一の支えで飲まず食わずのままです。

遭難6日目。南裏はヘリから投下された食料のチーズ缶を手に入れ、1週間ぶりの食料を口にしました。

遭難7日目、救助に向かった保科と木本の二名が南裏のいる場所に到着。わずか3日で標高6000mを登りきりました。
空腹と寒さでほとんど眠れなかった南裏さんですが、幸い怪我はしてなく合流するとザイルで自力で下山しました。
南裏さんは、断崖絶壁から奇跡的に救出できました。
ベースキャンプに戻る頃には、体重が10キロ減っていたそうです。

単独登頂という世界初の快挙とともに、救出劇は海外でも話題となりました。

ちなみに、登頂した南裏さんもすごいですが、救出した二人の逸話も同じぐらい凄く同時に地元で大きく取り上げられました。