カルチベートとはどういう意味?太宰治のどの場面で登場する?

 

皆さんはこのカルチベートという言葉を聞いたこと、見たことはあるでしょうか?

実はこの言葉はあの有名な小説家「太宰治」の作品に登場する言葉として有名なのですが、あまり聞いたことがない言葉だけに、意味がわからない方々もいらっしゃると思います。

早速ですがカルチベートの意味やどこで登場しているのか、調べてみましたのでご紹介させていただきます。

 

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どこで登場する言葉?

知っている方はご存じでしょうが、まだ知らない方のために、どこで登場するかご紹介いたします。

「カルチベート」は「太宰治」の小説「正義と微笑」に登場いたします。

そして「正義と微笑」のある一節に登場します。

その一節が以下の引用文になります。

↓↓↓↓↓

 

[前略]

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても。その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものなのだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。……」[後略]

引用:太宰治「正義と微笑」より

 

以上が小説にある一節の引用文になります。

文章中には、「覚えるということが大事なのではなく、大事なのはカルチベートされるということなんだ」「真にカルチベートされた人間になれ!」というように登場していますね。

特に後者の「真にカルチベートされた人間になれ!」はとても有名な言葉のようです。

 

 

また、この一節は、退職する先生から、主人公を含めた生徒たちに向けた言葉であり、主人公と退職する先生の関係性、主人公の抱く思いなど、上記の一節だけでは伝わらない人間模様や心境が描かれているので、興味のある方はこれを機に、読んでみてもいいかもしれませんね。

 

「カルチベート」の意味は?

「カルチベート」はお察しの通り英語の「cultivate」からきています。

cultivate の意味

・耕す、耕作する

・磨く、洗礼する

・養殖する、培養する、養う

という意味があります。

いくつか意味があるため、わかりにくいですよね………

 

「真にカルチベートされた人間になれ!」→ 「洗礼された人間、耕された人間になれ」

ということなのです。

前述の引用文を簡単に説明すると「学校の勉強も大切だか、勉強以外から学べることも大切だ」あるいは、、「勉強以外から学べることも大切だが、学校の勉強も大切だ」ということを描いています。

 

そして、これを踏まえて繋げて解釈すると、「真にカルチベートされた人間になれ!」とは、「学校の勉強や日々の経験などから学び、人として耕されていき(洗礼されて)、学校で学んだことを無理に直接役立てようとせず、焦らず良い人生を歩んでください」という先生からのメッセージなのです。

 

 

この小説はとても有名な小説ですが、特に教育に携わる方々にとってはバイブルのような本になっているかもれませんね。

ここで紹介させていただいた名言も、「学校の先生から聞いた」「塾の先生が言ってた」などという話も多いようですね。

将来教育に携わりたいと考えている方やここで興味を持っていただけた方は、ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。