瞳瞳ってどういう意味?
漢字って難しいですね。
「目・眼・瞳」、同じパーツを表す言葉なのでは、ちゃんと使い分けはできますか。
まったく同じではなく、実は少しずつ意味が違っているのです。
目というのは顔のパーツとしての「目」、眼球もまぶたも目頭も目尻も、すべて含んで「目」です。
一方で眼球のみを表すのが「眼」、医学とか生物学など専門分野に使われることが多いですね。
そういえばメガネも眼鏡です。
ガラス部分が覆っているのは全体ですが、何しろ眼球の視覚機能を矯正するためのものです。
「瞳」とは本来は黒目の部分・瞳孔を指す言葉でした。
ですが歌詞や小説などで使われるようになって、目の印象とか目線を言い表す言葉になっていますね。
「瞳」っていう方が「目」よりもなんだかロマンチックな雰囲気、情感もこもって見えるので詩的な文章にピッタリなのです。
ところで「瞳瞳」と重ねるとどういう意味になるのでしょう。
この場合の「瞳」は「童」に置きかえた方がよさそう。
つまり「童童」ってことです。
目とか眼とかとはまったく関係ないようです。
実は意味としては、「木が茂り覆っている様・木に枝がない様・清らかに光っている様」と3種類あるのです。
そのどれに当てはまるかは、前後の文章を見て推測しましょう。
日本だと「瞳瞳」にしろ「童童」にしても見たことはない方の方が大半のはずです。
漢詩に詳しい方だとご存じかもしれませんね。
王安石の「元旦」という漢詩に出てくるのです。
「千門万戸 瞳瞳日」という一文です。
「千門万戸」とは文字を見てイメージされたであろうそのまま、「非常に多くの家」という意味となります。
そして「瞳瞳日」、「とうとうたる日」と言う風に読みましょう。
「朝日が清らかに光っている」と訳すことができます。
「童童」の3つ目の意味が活用されていますね。