所沢のタイソン・久保広海について調査しました!
所沢のタイソンという呼び名はどこから来たのか?についてはもちろん、彼の小学校や中学校はどこなのか?
彼の有名な喧嘩エピソードについて紹介しながらもその真偽について考えていきます!
関連記事
久保広海とは何者?
細かい内容に入る前に、彼についての簡単なプロフィールを作りました。
本名:久保広海
年齢:40歳
生年月日:1982年11月10日
身長:167cm
出身:埼玉県所沢市
「所沢のタイソン」という、強そうな名前を持っている彼ですが、
彼の身長は167cmとやや小柄なことが分かりますね。意外に思った方も多いのではないでしょうか?
(2023年の40~49歳の男性の平均身長は
171.2cm:参考サイトは
こちら)
「所沢のタイソン」という名前が付いたきっかけのエピソードは?
彼は以前、外国人を殴ったときにその相手を4.5メートルも吹き飛ばしたそうです。
その現場を見た彼の先輩から、
「まるでマイクタイソンみたいだ!」
と言われたことをきっかけに「所沢のタイソン」という呼び名が親しまれるようになりました。
久保広海の小学校や中学校はどこ?
久保広海は、並木東小学校を卒業し、所沢中央中学に入学。
しかし、所沢中央中学に実際に通ったのは1年間だけで、その後は喧嘩に明け暮れる日々を送っていたようです。
久保広海の有名な喧嘩エピソードは?
①所沢のタイソン・久保広海ー木村兄弟との逸話
所沢のタイソン・久保広海には、
木村兄弟の弟である木村孔次郎と喧嘩をした際に、
パイルドライバーで首を折ったという有名なお話があります。
木村兄弟とは、世間的には関東連合を崩壊させた男たちとして一躍有名になった伝説のアウトローです。
一見とてもすごいことなのですが、少し冷静に分析してみると、
この話には怪しい点があります。
それは、木村孔次郎自身が骨を折られたことがあると言っていない点や
そもそも骨が折られたのなら、死んでいる可能性、そこまではいかずとも
大きな後遺症の話が持ち上がるのではないか?という点です。
これら2つのことを考えると、この逸話は事実ではない可能性が高いかもしれません。
②関東連合とのタイマン
所沢のタイソン・久保広海は、何度も関東連合とタイマンをしたという話があります。
ですが、これは虚空のストーリーだと思います。
その根拠を持つ人物は、西山友紀。
西山友紀は、反・関東連合「魔天使」を立ち上げ日々関東連合との抗争を繰り返すも、
最終的に関東連合トップにたったという異色の経歴を持つ人物です。
所沢のタイソン・久保広海は、その西山友紀とのやり取りの中でボロを出してしまい、
結果、偽りの話であったことが明らかになっています。
③喧嘩3000戦無敗
この伝説も、はっきり言って無理のある話だと思います。
そもそも、3000試合をするとなると、
2日に一度のペースで喧嘩をしたとしても、17年は掛かります。
それだけの頻度で戦い、勝利を収めていたのなら、
その界隈の人たちから、
「久保広海はやばい」、「所沢のタイソンはおっかない」
といった話がもう少し広まっても良いとは思いませんか?
実際にはそのように多くの人から口伝されている様子はないため、
このエピソードも事実というにはリアリティに欠けているといえます。
まとめ
どうでしたか?
彼自身は、アウトローとして有名であると主張していますが、
その信ぴょう性には疑問の呈する節もあります。
ですが、彼の武勇伝そのものには、ロマンの詰まったものもあり、
一部の人をワクワクさせてくれるかもしれませんね。
最後に、ポイントを纏めていきます。
・彼の身長は、数々の武勇伝で歌われている彼のイメージに反して、実は小さい。なんと、167cm。
・所沢のタイソンの呼び名は、彼が外国人を吹き飛ばしたときの距離が4.5メートルにも及び、
それを見ていた先輩から、「まるでマイクタイソンみたいだ!」と言われたことがきっかけ。
・彼の武勇伝の多くは、目を見張るものがあるが、実は有名な喧嘩エピソードの多くは嘘かもしれない。